「チャップリン」を オマージュ した 作品が 時代を 超えて 生まれ 続ける 理由
@DIME
発想の数だけアイデアがある。そんな表現や考え方のミカタにふれる「アイデアノミカタ」。第2回のテーマは「チャールズ・チャップリン」です。
*はじめに
チャールズ・チャップリンと聞いてあなたは何を思い浮かべますか?
映画の登場人物として、または映画を見たことはなくても、山高帽にちょび髭を付けたキャラクターは知っている、こんな方が多いと思います。
ではなぜ2023年の今チャップリンに注目なのでしょうか?
この問いかけの答えは時代によって異なると思いますが、たとえば昨年のカンヌ映画祭の閉会式ではウクライナのゼレンスキー大統領が「新たなチャップリンが必要だ」と発言しているように、実は世界のどこかで天災や戦争などが起きるたびに、何度もチャップリン映画のユーモアが求められてきました。また「チャップリン」という言葉が人物も時代も超えたひとつのジャンルとして生き続けていることにも注目です。
そこで今回のアイデアノミカタはチャップリンの人物像と作品の普遍性について考察していくことで、チャップリンと現代のつながりについて紐解いていきたいと思います。
*生い立ちと創作の原点
1889年4月16日ロンドン南部ケニントンでイギリスの軽演劇ミュージック・ホールの芸人である両親のもとでチャップリンは生まれました。
19世紀末のイギリスといえば文化と経済の両方で世界の中心地であり、まさに繁栄の絶頂期です。しかしチャップリンが育った場所は当時のロンドンでも最貧困地区であり、2歳の頃に両親が別居したことで貧しい幼少時代を過ごします。生活は苦しくとも、チャップリンの母は舞台で経験してきた演技を自宅でたびたび披露してチャップリンを楽しませたといいますが、決して生活は楽でなくとも、衣食住と同じようにユーモアや笑いが必要であることをチャップリンは学んでいくのです。
そんな幼少時代に忘れられない出来事と遭遇します。
ある日、食肉処理場に連れて行かれる羊の1頭が逃げ出します。みんなが羊を追い回してはぶつかり、転び、それを見た多くの人が笑ったといいます。チャップリンも同じように大笑いしましたが、やがて羊は再び荷車へと戻されて連れていかれます。そのときチャップリンは羊たちがこれから殺されてしまうことに気付き、母に涙ながらに現状を訴えたといいます。
この体験をのちにチャップリンは喜劇映画を創る原点になったと語っているように、悲劇と滑稽さが組み合わさることで生まれる作用を知ったのです。
そして少年時代から数多くの舞台経験を積み、1908年にイギリスで大人気であった「カノー劇団」に入団し、瞬く間に看板役者へと駆け上がり、2度のアメリカ巡業公演を経てロサンゼルス郊外にあるキーストン・スタジオと契約をして映画界へと進出していきます。
「チャップリン」をオマージュした作品が時代を超えて生まれ続ける理由|@DIME アットダイム
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