’88年ソウル、’92年バルセロナと2大会連続でメダルを逃すこととなった日本女子バレーボール。大林素子(当時26)は2大会ともに日本のエースアタッカーとして活躍した。彼女は世界のトップクラスのリーグで活躍する選手を擁する海外との力の差を痛感し、『プロ選手として活動したい』と思うようになったという。そんなときにプロへの移籍話が持ち上がったのだった。
「私にこんなチャンスがあれば入りたいと思いますけど」
’93年11月9日、香港で世界初の「多国籍女子プロバレーチーム」が旗揚げされた。選手兼監督に中国の国民的英雄・郎平を迎え、バルセロナ五輪で優勝したキューバのエース、ルイスなど、世界中から有力メンバーを集めたドリームチームだった。
(抜粋)詳細はリンクから🧐