第一章 消えた高級メロンと疑惑の隣人
うだるような夏の午後。僕の探偵事務所(兼古本屋)には、エアコンの故障で熱気がこもり、ただでさえ薄暗い室内が、熱帯雨林のような湿気に包まれていた。僕は汗だくになりながら、扇風機の微風を頼りに分厚い推理小説を読んでいた。
「ああ、このままアガサ・クリスティーの世界に埋没して、現実の蒸し暑さから逃げ出したい…」
そんな僕の平穏を破ったのは、バタン!とけたたましいノックの音と、息を切らした大家さんの、いつもより少し高めの声だった。
「明智さん!明智さん!大変ですわ!とんでもないことが起こりましたのよ!」
大家さんは、普段は朗らかな笑顔がトレードマークのおっとりしたおばあちゃんだが、今日は顔面蒼白で、額には尋常ではない量の汗が光っている。
「おや、大家さん。どうかされました? もしかして、またアパートの屋根裏に、カラスが貯め込んだ光り物を発見しましたか? 最近、あのカラスのコレクション、随分と増えましたからねぇ~」僕は涼しい顔で、顔に張り付いた髪の毛をはらった。
「カラスなんかじゃありません!もっと重大な事態ですわ!私が、先日息子から送られてきたばかりの、とっておきの高級メロンが…ないんです!」
大家さんは、今にも泣き出しそうな顔で訴えた。
「ほんの少しだけですよ、って明智さんにも見せたでしょう? あの、網目がとてつもなく美しくて、触れるだけで指に甘い香りが移るような…あれが、忽然と消えてしまったんです!」
「なるほど…メロンの失踪事件ですか…これは由々しき事態ですな。私の探偵人生において、失われた財宝や秘宝の追跡は数多く経験がありますが、まさかメロンとは…」
僕は顎に手を当てて唸った。ご近所の小さな事件でも、僕は常に大事件の様相を呈して捜査を開始する。それが、自称「名探偵」明智小五郎の流儀なのだ。
大家さんは、隣室を指差して声を潜めた。
「きっと、あそこの大食いの吉田さんの仕業ですわ!あの人、いつも食べ物の匂いに敏感で、うちの夕食の献立まで当ててくるんですから!『今日は肉じゃがですな、大家さん!』なんて、玄関から匂いを嗅いで言い当てるんですよ!きっとメロンの甘い香りに誘われて、夜中に侵入したに違いありませんわ!」
僕は大家さんの興奮をなだめ、早速、現場である大家さんの部屋へ向かった。冷蔵庫のドアは開いており、確かにメロンが鎮座していたであろうスペースは、空っぽだった。
僕は、その空虚な空間を、まるで殺人現場の血痕でも見るかのように、真剣な眼差しで凝視した。そして、おもむろに巨大な鼻眼鏡を取り出した。「この『嗅覚強化レンズ』で、微細な匂いの粒子を捕らえます!」と大真面目に言いながら、冷蔵庫の中をクンクン嗅ぎ回った。
「ふむ、これは巧妙な手口ですな…犯人は、いかにしてこの巨大なメロンを、人目を忍んで運び出したのか…」
僕は部屋の隅々まで目を凝らし、わずかな手がかりを探した。そして、冷蔵庫の横に落ちていた、数本の短い、茶色い毛を発見した。
「見つけましたぞ、大家さん!この毛は…きっと、犯人が現場に残した決定的な証拠です!」
僕は得意げに大家さんに毛を見せた。
「この毛の質感、そしてこの色合い…おそらく、犯人は…たぬきですな!最近、裏山から下りてきたたぬきが、ごみ漁りをしているという噂を聞きました!『たぬきは甘いものが大好きですからな!』きっと甘いメロンの香りに誘われて、冷蔵庫をこじ開けたに違いありません!」
大家さんは目を丸くして、僕の推理に呆然としていた。
「た、たぬき…?冷蔵庫をこじ開けるたぬきがいますの…?明智さん、本当に探偵さんですの…?」
僕の推理は、今日もまた、ご近所の常識を遥かに超えた領域へと突入していくのだった。そして、その日の夕食時。吉田さんが大家さんの前で、満面の笑みで言った。
「いや~、大家さん!昨日、近所のスーパーで買ったメロンが大当たりでねぇ!あれは絶品でしたよ!あんなに甘いメロンは久しぶりですよ!」
大家さんの顔が、みるみるうちに青ざめていくのを、僕はひそかに目撃していた。
第二章 真夜中の奇妙な音とアパートの怪談
メロン失踪事件の捜査が迷宮入りしかけていた矢先、今度はアパートの住人たちが、夜な夜な聞こえる奇妙な音に悩まされているという相談が舞い込んできた。
「明智先生!本当に怖いんです!」
そう言って僕の事務所に飛び込んできたのは、アパートの二階に住む、臆病なOLの佐藤さんだ。彼女は青い顔をして、震える声で訴えた。
「夜中の2時になると、必ず隣の部屋から『ギギギ…ガチャン!』って、変な音がするんです!もしかして、幽霊が夜な夜な何かを壊しているんじゃ…!?」
佐藤さんは両手を握りしめ、「もう、夜も眠れません!このままじゃ、ストレスで髪の毛が全部抜けちゃいますぅ!」と半泣きだ。
「幽霊…ですと?」僕はにやりと口角を上げた。
「なるほど、これは超常現象を装った、巧妙な犯罪の可能性が高いですな!幽霊の仕業に見せかけて、何か悪事を働いている者がいるに違いない!佐藤さん、ご安心を!この明智小五郎が、あなたの髪の毛…いえ、アパートの安寧をお守りします!」
僕は心の中で、次に書くであろう推理小説のプロットを練り始めていた。隣の部屋に住むのは、いつも無口で、あまり姿を見せない引きこもり気味の青年、鈴木さんだ。彼の部屋からは、昼夜問わず、かすかにパソコンのキーを叩く音が聞こえてくる。
「きっと、彼が夜中に何か秘密の作業をしているに違いない…!」僕は早速、鈴木さんの部屋を訪ねたが、ドアは固く閉ざされており、ノックにも応答がない。
「ふむ、これはますます怪しいですな。まるで、秘密結社の地下要塞のようだ…」
僕はドアに耳を当ててみたが、中からはただ静寂が返ってくるだけだった。しかし、よく耳を澄ますと、微かに「カチッ…カチッ…」という規則的な音が聞こえる気がした。
「これは…何かを組み立てている音に違いない!恐らく、夜な夜な聞こえる『ギギギ…ガチャン!』という音は、彼が作った秘密兵器が、完成に近づくにつれて発する音に違いない!」
僕は翌晩、徹夜で鈴木さんの部屋の前に張り込みを行った。冷たい廊下の床に座り込み、目を皿のようにしてドアを凝視する。深夜2時。ついにその時が来た!「ギギギ…ガチャン!」と、確かにあの奇妙な音が聞こえてきたのだ。
僕は飛び上がってドアに駆け寄った。中からは、さらに「ドサッ!」という大きな音と、何かが転がり落ちるような音が聞こえる…
「まさか!秘密兵器の暴発か!? それとも、鈴木さんが巻き込まれてしまったのか!?」僕は意を決して、ドアに体当たりしようとした…その瞬間!
「あら、明智さん、こんなところで何をなさっているんですか?」
背後から、大家さんののんびりとした声が聞こえた。大家さんはパジャマ姿で、手に大きな空のポリタンクを抱えている。
「あら、鈴木さんの部屋から音がしましたか?ふふふ、あれはね、鈴木さんが夜中に、趣味で作っているプラモデルの塗装ブースの音ですよ。部品が大きくて、たまに倒しちゃうみたいで。『鈴木さんの部屋、プラモデルが山積みで、部屋の半分を占めているんですのよ』。ポリタンクは、水を汲みに行くところでしたのよ。最近、夜中に喉が渇くもので…」
僕は目を丸くした。プラモデルの塗装ブース?「ギギギ」は塗料の攪拌機、そして「ガチャン!」はパーツが倒れる音だったのだ。
「私の壮大な秘密兵器論は…またしても、プラモデル一つに敗北したのか…!」
僕は脱力感に襲われ、冷たい廊下の床にへたり込んだ。幽霊の正体も、秘密兵器の正体も、すべてはごくごく日常的な「あるある」だったのだ。しかも、僕が張り込み中に疲れて廊下でぐっすり寝落ちてしまい、佐藤さんが「明智先生のいびきが幽霊のうめき声に聞こえました!」と顔を真っ青にして飛び起きた、という事実も付け加えなければなるまい。
佐藤さんは僕に差し入れで持ってきた夜食の菓子パンを、僕が寝ぼけて全部食べてしまったことにも、「私の非常食が…!幽霊より明智先生が怖いわ!」と不満げだった。
第三章 ベランダ菜園パニックと泥棒騒ぎ
夏の太陽が降り注ぐ中、アパートのベランダは、まるでジャングルと化していた。家庭菜園に情熱を燃やす田中夫婦のベランダには、ミニトマト、ナス、キュウリが所狭しと並び、見る者の目を楽しませていた。しかし、その平和も長くは続かなかった。
ある朝、田中夫人が悲鳴を上げた。「健一さん!大変よ!私たちのミニトマトが…ミニトマトが丸ごと消えちゃってるわ!あれだけ愛情込めて育てたのに!」
僕は朝食のパンを喉に詰まらせながら、田中夫婦のベランダへ駆けつけた。確かに、昨日まで鈴なりだったミニトマトの房が、跡形もなく消え失せている。泥棒だ!
「これは巧妙な手口ですな!おそらく犯人は、夜陰に紛れて侵入し、的確に熟れたミニトマトだけを狙ったのでしょう!これはプロの犯行です!ははあ、さては『菜園泥棒X』の仕業か…!」僕は鼻息荒く推理した。
田中夫人は、顔をしかめて言った。
「きっと、隣に引っ越してきたばかりの、あの怪しいサングラスの男の仕業よ!夜中にいつもベランダで何かしてるし、こないだも、うちのベランダをじろじろ見てたわ!『あの人、きっと珍しい野菜を育ててるわ、私も分けてもらおうかしら』なんて言ってたのに!」
僕は早速、怪しいサングラスの男、斉藤さんの部屋を訪ねた。斉藤さんは、いつもベランダで作業をしているようだが、何を育てているのかは誰も知らない。ドアをノックすると、奥から低く、こもった声が聞こえた。
「…どうぞ」
斉藤さんの部屋のベランダは、薄暗いシートで覆われており、中がよく見えない。僕は目を凝らしたが、暗闇の中では何も判別できない。
「ふむ、これは…密かに何かを栽培しているに違いない。麻薬…いや、それとも禁断の植物か…?はたまた、宇宙野菜の栽培か…!?」僕は想像力を膨らませた。
「あの…最近、ミニトマトが盗まれる事件がありまして…」僕が切り出すと、斉藤さんはサングラスの奥で目を細めた。「ミニトマト、ですか…?ああ、あれなら…」彼はそう言うと、シートの奥から、僕が見たこともないほど巨大なトマトの房を持ってきた。
「これのことですか?うちのベランダで育ったトマトなんですが、どうも品種改良がうまくいかなくて、ミニトマトの苗に混じって生えちゃったんですよね…『まさかこんなに大きくなるとは、私も思わなくて…』」
僕と田中夫婦は、その巨大なトマトに呆然とした。斉藤さんのベランダからは、確かにミニトマトの苗と同じような葉が伸びていたが、その実の巨大さは、ミニトマトとはかけ離れていたのだ。
ちなみに、斉藤さんが薄暗いシートで隠して育てていたのは、世界一辛いと言われる激辛唐辛子「キャロライナ・リーパー」だった。その毒々しい赤色に、明智は一瞬「これは新種の毒キノコでは!?」と本気で怯えた。
「まさか、盗まれたのではなく、巨大化したミニトマトが、自分の重みに耐えきれず、勝手に落下していたとは…」僕は頭を抱えた。
「私の壮大な泥棒推理は、またしても、園芸の知識に敗北したのか!」
田中夫人は、巨大なトマトを見て、「あら、これ、もしかして私の愛情が、ミニトマトを大きく育てすぎちゃったのかしら!」と満面の笑みを浮かべていた。斉藤さんは、困ったような顔で「どうぞ、お口に合うか分かりませんが…」と、その巨大トマトを田中夫婦に手渡した。
こうして、ベランダ菜園パニックは、意外な「豊作」という形で幕を閉じたのだった。僕の「迷探偵」としての威厳は、今日もベランダの土の下に埋もれていくばかりだった。
ミニトマト事件の後、田中夫婦は過剰なまでに防犯意識を高め、ベランダに赤外線センサーや、自動で水を噴射する防犯装置を設置した。ある夜、それが誤作動を起こし、真下を通りかかった僕が、冷たい水でずぶ濡れになるという二次災害が発生した。
「くっ…これもまた、ご近所の罠か…!」僕は震えながら空を見上げた。
第四章 発明品が巻き起こす騒動とご近所の迷惑
アパートの最上階に住む、自称「天才発明家」の本田さんは、今日も今日とて、部屋から奇妙な音を響かせている。ウィーン、ガシャン、ドカン!まるで小さな工場がそこにあるかのようだ。そして、その音が止むと、決まってご近所で何かしらの騒動が起こるのだ。
ある日、僕は本田さんの部屋の前を通りかかった。すると、本田さんが満面の笑みで僕を呼び止めた。
「おや、明智さん!ちょうどいいところに!見てくださいよ、私の最新の発明品です!」
彼が差し出したのは、銀色の奇妙な形状をした機械だった。
「これは、ずばり!『全自動ご近所交流促進ロボット』です!ボタン一つで、最適なタイミングでご近所さんの家を訪れ、自動でおしゃべりをし、友好関係を深めることができるんですよ!これで、ご近所付き合いが苦手な人も、心配ご無用です!『私が徹夜で開発した、人類の未来を変える傑作です!』」
僕は顔を引きつらせた。ご近所付き合いは、人間同士の微妙な距離感が命だ。それを機械に任せるとは…
「あの、本田さん。それは、かなり危険な発明品では…人間関係はもっと複雑で、繊細なものですからな…」
僕の忠告もむなしく、本田さんは誇らしげにロボットのスイッチを入れた。ロボットは、けたたましい電子音を立てて動き出し、まるでミサイルのように大家さんの部屋へ向かって突進していく。「おやまぁ!なんて元気なロボットですこと!」大家さんは、最初は面白がっていたが、ロボットが大家さんの部屋のドアを何度もガツガツと叩き始めたのを見て、顔が引きつり始めた。
「ちょっと、この子、強すぎませんこと!?『ワタシハ、オチャノシシュウ、オモテナシノタメニ、参上イタシマシタ!』って、声まで出るんですのね!」
ロボットはさらに暴走し、隣の田中夫婦のベランダの洗濯物を、自動で取り込もうとして、物干し竿ごと引きちぎってしまった!
「あああ!私の大事なパンツがー!『タダイマ、センタクモノ、カイシュウチュウ!』って、壊してるじゃないの!」田中夫人の悲鳴が響き渡った。
「くっ!やはり私の予感は当たったか!」
僕は慌ててロボットを止めようとしたが、ロボットはすでにアパートの廊下を縦横無尽に走り回り、住人たちの部屋のドアを片っ端からノックしたり、玄関マットをひっくり返したり、挙げ句の果てには、吉田さんの部屋の前に置いてあったゴミ袋を、律儀にゴミ集積所まで「自動運搬」し始めた!その際、ゴミ袋の中の吉田さんの秘密の(エロ)本が廊下に散乱し、吉田さんが「やめろー!それはゴミじゃないー!」と叫ぶ事態になった。
「ああ、私の秘密の宝が!」
「勝手にゴミを捨てるなー!」
ご近所中から悲鳴と怒号が入り乱れる。まさに、阿鼻叫喚の地獄絵図だ。本田さんは顔を真っ青にして、リモコンを必死に操作しているが、ロボットは全く言うことを聞かない。
「おかしいな…完璧なプログラムだったはずなのに…!『エラー発生!ゴキゲンプンムンナ、オキャクサマヲ、ハッケンシマシタ!』なんて、意味不明なことを喋り出したぞ…!」
本田さんは、暴走するロボットを見てもなお、「これは完璧な交流を促すための試運転ですから!」と、どこかズレた自信を見せている。
僕は、ようやくロボットの動きを止めようと、背後から飛びかかった。しかし、ロボットは僕の手をすり抜け、そのまま僕の探偵事務所のドアを、自動で「開閉練習」し始めた。
ギギギ、バタン!ギギギ、バタン!を繰り返すたびに、古本が棚から崩れ落ち、埃が舞い上がる。僕はロボットに追いかけ回され、危うく廊下でつまずきそうになった。
「くっ…まるで悪夢のようだ…!私は、このロボットの思考回路を解析しなければ…!」
「あああ!私の事務所がー!」
僕の悲鳴もむなしく、ロボットはさらに暴走を続け、最終的には、本田さんの部屋の窓から、まるで宇宙ロケットのように勢いよく飛び出し、そのまま遥か彼方の空の彼方へと消えていった…
「私の、私の傑作が…!『ご近所交流促進ロボット2.0』は、必ずや完成させてみせます…!」本田さんはガックリと肩を落とした。僕は埃まみれの事務所で、崩れ落ちた本の山を眺めながら、深いため息をついた。
「まったく…ご近所の平和は、時に私の探偵生命を脅かすほどに、ドタバタと騒がしいものですな…」
第五章 ご町内最大の誤解と名探偵の決着?、そして不穏な予感
本田さんの発明品による騒動が一段落したかと思えば、今度はアパート全体が、一つの巨大な「誤解」の渦に巻き込まれていた。発端は、大家さんが近所の商店街の福引で当てた、最高級の「温泉旅行ペアチケット」だった。
「あら、明智さん。私、足が悪くて旅行には行けないから、このチケット、どなたか必要な方に差し上げようと思って…『みんなで楽しめるものがいいわねぇ』」大家さんは、いつものんびりとした口調でそう言った。
しかし、この言葉をたまたま聞いてしまった吉田さんが、それを「大家さんが、吉田さんだけにこっそり温泉旅行をプレゼントする」と勘違いしてしまったのだ。
「おお!大家さん!まさか私に温泉旅行を!?これは日頃の行いが良いからに違いありませんな!『長年の大家さんとの絆が実を結んだ!』」
吉田さんは、すっかり有頂天になり、アパート中に「大家さんから温泉旅行をもらった!」と触れ回ってしまった。
すると、それを聞いた田中夫婦が、「なぜ吉田さんだけ!私たちが毎日ベランダ菜園で野菜を分けてあげているのに!『私たちが一番世話になってるはずなのに!』」と憤慨し、佐藤さんも「私はいつもゴミ出しを手伝っているのに…!『私は夜中に幽霊騒ぎで迷惑かけられたのに…!』」と不満を露わにした。
挙げ句の果てには、本田さんが「もしかして、あのロボットのせいで、私が嫌われたのでは…!?『まさか、私の発明品が悪影響を…』」と落ち込み始めた。
アパート中が疑心暗鬼と嫉妬の渦に包まれ、まるで戦場のような雰囲気に包まれた。誰もが互いを睨み合い、すれ違うたびに陰口が聞こえる始末だ。
「あんたのところの犬がうるさいのよ!」「あんたのゴミ出しが早すぎるんだ!」と、チケットとは関係ない罵り合いまで始まった。
僕は頭を抱えた。「これは…アパート全体の人間関係が崩壊の危機に瀕していますな。私の探偵としての腕の見せ所…いや、胃薬が必要なレベルだ…!」
僕は、それぞれの住人から話を聞き出した。吉田さんの得意げな顔、田中夫婦の憤慨した顔、佐藤さんの不満顔、そして本田さんのしょげた顔。すべての情報が、単なる「誤解」の連鎖でしかないことを物語っていた。しかし、誰もが自分の解釈が正しいと信じて疑わない。
「なるほど…これは、複雑に絡み合った糸を解きほぐすような、繊細な推理が必要だ…」僕は額に手を当て、深く考え込んだ。そして閃いた。
「私は、このご町内最大の誤解を、華麗なる推理で解き明かし、平和を取り戻してみせましょう!」
僕はアパートの広場で、全住人を集めた「緊急会議」を招集した。中央には、事件の発端となった「温泉旅行ペアチケット」を掲げた。
「皆さん!このチケットを巡る一連の騒動は、すべてが誤解によって引き起こされたものです!」
僕は、大家さんがチケットを「誰かにあげたい」と言った意図、それを吉田さんが「自分だけに」と勘違いしたこと、そしてそれが他の住人に波紋を広げた経緯を、一つ一つ丁寧に、しかし大げさに説明した。
「つまり、誰が悪いというわけではありません!すべては、言葉の綾、そして、皆様の『温泉に行きたい』という、ごく自然な欲求が引き起こした、ある種の『集団幻想』なのです!」
僕はジャンケン一つ一つに「このグーは、吉田さんの日頃の鬱憤を表現していますな!」「このパーは、佐藤さんの未来への希望を表している!」などと、的外れな解説を加えた。
僕の熱弁に、最初は半信半疑だった住人たちも、次第に顔を見合わせ、気まずそうに笑い始めた。「なるほど、そういうことだったのか!」「てっきり俺だけ仲間外れかと…」と、それぞれの誤解が解けていく。「私が早とちりしましたわ!申し訳ないですわね!」と吉田さんが頭をかき、田中夫婦も「私たちも感情的になってしまって…」と反省の言葉を口にした。
最終的に、大家さんが「このチケットは、みんなで公平にジャンケンで決めましょうね!」と提案し、アパートの広場は、大人たちが真剣な顔でジャンケンをする、奇妙な光景に包まれた。皆の顔は、まるで世界大会の決勝戦のように真剣そのもので、変な掛け声まで飛び交った。結果、見事チケットを手にしたのは、くじ運が悪いと評判の佐藤さんだった。
アパートに平和が戻り、住人たちの間には、以前よりもどこか温かい連帯感が生まれたように思えた。僕は、ジャンケンで負けてションボリしている吉田さんの背中をポンと叩いた。
「おや、おじいちゃん。次はもっと大きな福引を当てて、みんなで豪華旅行に行きましょうぞ!」
その日の夜、僕は事務所で、大家さんからお礼にと差し入れられた、少し焦げ付いた手作りクッキーをかじりながら、今日の出来事を思い出していた。結局、私の推理は、いつだってごく単純な「事実」と「誤解」の繰り返しだ。それでも、ご近所の平和が守られるなら、それでいいのかもしれない。
空には満月が輝き、今日もまた、僕の「迷探偵」としての、ドタバタな一日が静かに幕を閉じていく。だが、僕のこの予感は、単なる気のせいなのだろうか…
翌朝、僕は目覚めると同時に、どうしようもない胸騒ぎに襲われた。事務所の窓からは、いつもと変わらぬ、のどかなご近所の風景が見える。しかし、なぜだろう。アパートの前の電柱に、見慣れない派手な色のチラシが貼られているのが目に留まったのだ。そこには、大きな文字でこう書かれていた。
「緊急募集! アパート『のんびり荘』、全室リノベーションにつき一時退去のお願い!」
僕は思わず紅茶を吹き出した。リノベーション?一時退去?そんな話、どこからも聞いていないぞ!僕の探偵事務所が、僕の安らぎの古本屋が、一体どうなってしまうんだ!?そして、ご近所の住人たちは、この突然の通告に、どんなドタバタ劇を巻き起こすのだろうか…
僕は、まだ二度寝から覚めきらない頭で、強烈な予感に襲われた。どうやら、僕の「迷探偵」としての苦難は、これで終わりではないらしい。いや、むしろ、今までで一番の大事件が、ひっそりと幕を開けようとしているのかもしれない…
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