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SCENE#30 世紀の三億円事件? いえ、ただのドタバタ劇です

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第一章:奪われた夢のあと、予期せぬ残念な逮捕劇

昭和43年12月10日、雪がちらつく府中。日本中を震撼させるはずだった三億円事件は、まるでコントのようにあっけない幕切れを迎えた。東芝府中工場の従業員のボーナス、約3億円を積んだ日本信託銀行の現金輸送車が、白バイ警官を装った男に偽装工作で停止させられた直後、現場に急行した警察官たちによって、男はズッコケるようにあっけなく取り押さえられた。

「動くな! 警察だ!」

怒号が響き渡る中、男は観念したように両手を上げた。その男、木下健一(きのした けんいち)は、取り調べに対し、あっさりと犯行を自供。動機は借金苦と、とにかく「なんかスゴイことをしてみたかった」という、拍子抜けするほど単純かつ凡庸なものだった。現場に残された偽の白バイは、どう見ても粗大ごみから拾ってきたようなガタガタの自転車に白くペンキを塗っただけ。発炎筒は使いかけの安い花火で、証拠はあまりにも明確で、そしてどこか残念だった。

木下は終始、興奮しているような、それでいてどこか間の抜けた様子で、取り調べの刑事に目を輝かせながらこう言った。

「いやー、まさかこんなに早く見つかるとは思いませんでしたよ! もっとこう、全国指名手配とか、大々的にニュースになって、僕の顔がバンバン流れるのかと! あ、僕、テレビ映り、あんまり良くないんですよねー。でも、これでちょっとは有名になれますかね?」

警察は「こんなやつに、まさかあの三億円事件がやられてしまうとは…」と、呆れと困惑の中で事件の終結を宣言した。その逮捕劇は、スリリングな映画ではなく、B級コメディのワンシーンのようだった。

第二章:熱狂と幻滅、そして沈黙のズッコケ

事件発生からわずか数時間での犯人逮捕。日本中がこの報に沸き立った…かに見えた。テレビの速報は繰り返し犯人逮捕を伝え、号外が街を埋め尽くした。

しかし、その熱狂はまるで線香花火のように、パチパチと音を立ててあっという間に消え去った。永年にわたる未解決事件として、人々の記憶に刻まれるはずだった三億円事件は、「まさかの凡人逮捕!」という、期待外れのオチで幕を閉じたのだ。

このスピード解決は、深い幻滅と、ある種の消化不良を生み出した。事件の複雑性や犯人の巧妙さに夢中になっていた人々は、あまりにもあっけない結末に拍子抜けし、「え?これだけ?」と口をあんぐり。まるで、壮大なサスペンスドラマの最終回が、犯人が転んで自白した、みたいな感じだった。

特に、事件の全貌解明に期待を寄せていたマスコミは、報道するネタを失い、その熱狂は急速に冷めていった。「もっとすごい裏があるはずだ!」「実はヤクザが絡んでるんじゃ?」といった憶測も飛び交ったが、木下健一がただの「目立ちたがり屋のヘマ野郎…」であることが判明するにつれ、そうした噂も消えていった。

現金輸送車に乗っていた銀行員、田中(仮名)は、事件後、しばらくの間、周囲からの好奇の目に晒された。しかし、事件があまりにも早く、しかもコミカルに解決したことで、彼らは「事件の生き証人」として語り継がれることもなく、「ああ、あのダサい犯人の事件ね…」と、半ば笑い話の種にされる始末。

田中は、あの日の悪夢から解放された安堵と同時に、どこか「自分たちの命がけの体験は、こんなにも軽んじられるのか…」という、笑えない空虚感を抱え続けることになった。

第三章:変わる捜査、変わらない社会のチープな影

三億円事件が早期解決したことで、日本の犯罪捜査の歴史は大きく変わった…ように思われた。未解決事件のリストから一つ大きな事件が消え、警察は「迅速な対応」を最重要視するようになった。

しかし、その裏で、国民の警察への信頼は、決して高まったわけではなかった。「あんな間抜けな犯人でも捕まえられないわけがない…」「むしろ、もっと早く気づけよ!」といった、どこか見下したような疑念が社会の奥底に澱のように溜まっていった。事件解決のスピードよりも、その滑稽さが人々の記憶に残ったのだ。

世間を騒がせる「劇場型犯罪」への関心は急速に薄れた。「どうせ、犯人もすぐ捕まるし、大したことないんでしょ?」という諦めにも似た空気感が蔓延した。犯罪の「ロマン」が失われたことで、フィクションの世界にも変化が訪れた。緻密な計画を練る怪盗や、大胆不敵な犯罪を描く物語は、「リアリティがない」とそっぽを向かれ、代わりに、ドジな犯人が起こす小規模な窃盗事件や、日常に潜むちょっとしたトラブルを描く、地味でゆるい人間ドラマが支持されるようになっていった。

これは、高度経済成長期の陰で、人々が壮大な夢よりも、身近な笑いや癒しを求めるようになった時代背景と無関係ではなかった。犯罪は、もはやスリルの対象ではなく、たまにクスッと笑えるような、そんな程度の出来事として認識されるようになったのだ。

第四章:それぞれの未来、残る問いの薄笑い

木下健一は裁判で有罪となり、刑務所に服役した。彼をモデルにした小説や映画が作られることもなく、彼の名は「あの間の抜けた犯人」として、ごく一部で細々と語り継がれる程度だった。

彼は、刑務所内で静かにその生涯を終え、誰も彼の死を惜しむことはなかった。刑務所の中でも、木下は最後まで懲りなかった。面会に来た弁護士に、彼は真剣な顔でこう尋ねた。

「先生、僕、やっぱり有名人ですよね? 塀の向こうでも、『あの三億円の木下さん』って、みんなが僕のこと話してるんでしょう? 今度、自叙伝とか出せませんかね? 『ワルだけど憎めない! 木下健一の三億円事件奮闘記!』みたいなタイトルで!」

弁護士は無言で首を横に振るしかなかった。結局、「あの三億円事件の犯人」という肩書きは、彼の墓碑銘にすら、誰も彫ろうとは思わなかった。

現金輸送車に乗っていた行員たちは、事件の衝撃からすぐに立ち直り、平穏な日常に戻ることができた。彼らは「あの三億円事件の当事者」として語り継がれることもなく、「あの時、変なやつに絡まれてさー」程度の、飲み会での軽いネタとして消費された。彼らは、事件が早期に解決したことで、「忘れられた当事者」となった。

それが彼らにとって幸運だったのか、不運だったのか、それは誰にも判断できない。ただ言えるのは、彼らが「あの三億円事件の」という枕詞なしに、ごく普通の人生を送ることができたということだけだ。

そして、この事件が未解決に終わっていたら、日本の文化や社会に与えたであろう計り知れない影響は、何事もなく過ぎ去っていった。しかし、ある種の物足りなさ、消化不良のような感覚は、いつまでも人々の心に残った。

まるで、誰もが期待した壮大な物語が、あっという間に終わってしまったかのような拍子抜け感は、その後の社会の閉塞感にも少なからず影響を与えたと言えるかもしれない。壮大なミステリーを奪われた人々は、代わりにどこかシュールな日常の笑いを求めるようになったのだ。

第五章:ささやかな反響、そして笑えない結末

数十年の時が流れ、あの三億円事件は、たまにテレビの懐かし番組で、司会者が「しかし、犯人があっという間に捕まったんですよね!」と、まるで間抜けなオチのように語る程度になった。人々は、事件そのものの詳細よりも、「あっさり捕まった…」という事実を、半ば笑い話として消費するようになっていた。

ある日、一人の郷土史家、山田太郎(仮名)が、地元の図書館で古い新聞を調べていた。彼は、木下健一の故郷である寂れた温泉街の出身で、子供の頃に聞いた「三億円事件の犯人はうちの町の人間だったんだぞ!」という噂が、どうにも引っかかっていたのだ。

山田は、木下の生家跡を訪ね、近所のおばあさんに話を聞いた。おばあさんは、遠い目をしながら言った。

「ああ、健ちゃんねぇ…真面目な良い子だったんだけど、見栄っ張りでねぇ。事件を起こしたって聞いた時は、まさかと思ったよ。でも、あの子らしいと言えば、らしいのかねぇ…」

そして、おばあさんは、続けて意外なことを話し始めた。「実はねぇ、健ちゃんが捕まった時、盗んだ三億円はほとんど見つからなかったんだよ。警察は『使い込んだ』って言ってたけど、うちの旦那が言うにはねぇ…『あいつ、裏の畑に埋めたんじゃないか』って!」

山田は驚いて、おばあさんに畑の場所を教えてもらい、半信半疑で鍬を手に畑を掘り返してみた。すると、出てきたのは古びたブリキ缶だった。中を開けてみると… 大量の五百円玉…

そう、木下健一は、三億円という大金を、当時の最高額紙幣ではなく、嵩張る五百円玉で持ち運び、そして、見つかりにくいだろうと、近所の畑にコツコツと埋めていたのだ。あまりの間の抜けっぷりに、山田はその場にへたり込み、笑うしかなかった…

結局、木下が埋めた五百円玉は、ほんの一部しか発見されず、残りは今もその温泉街のどこかの土の中に眠っているという。そして、その温泉街は、ひそかに「三億円が眠る里」として、ごく一部のマニアの間で語り継がれているが、それを知る人はほとんどいない…

三億円事件は、あっけない逮捕劇で幕を閉じ、その後も、犯人の想像を絶する間の抜けた隠し方によって、人々の記憶の片隅で、ひっそりと滑稽な物語として生き続けているのだった…

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