第一章：締め切りと借金と、猫の嘆き
昭和二十三年、春。太宰治は文机に突っ伏し、深い溜め息をついていた。目の前の原稿用紙は白紙のままで、締め切りは明後日。懐には、雀の涙ほどの金もない。
「ああ、もうダメだ。書けない。何を書けというのだ、この私に」
そんな太宰の脳裏を占めていたのは、愛猫ミケのことだ。先日、ご近所の奥様から放たれた一言が、太宰の心を深く抉っていた。
「あら、太宰先生のお宅のミケちゃん、最近ちょっと太ったわねぇ」
太宰はむくりと起き上がると、ミケを抱き上げた。ずっしりとした重み。まごうことなき肥満体型。太宰は絶望した。このままでは、ミケがご近所の笑いものになる。いや、それ以上に、ミケの健康が危ない。なんとかして、ミケをダイエットさせねばならない。
ふと、机の上の原稿用紙が目に入った。そうだ、原稿だ！ 原稿料が入れば、最高級のダイエットキャットフードが買える！ そして、キャットフードの袋に書かれた「スリムボディを目指す愛猫に！」というキャッチコピーを見たとき、太宰の脳裏に、ある閃きが走った。
「よし、決めた！ この作品は、ミケのために書く！」
第二章：人間、失格？ いや、猫、失格！、そして葉っぱの秘密
太宰はペンを握り、書き始めた。テーマは、ずばり「ミケのダイエット奮闘記」だ。しかし、そのままでは出版社が首を縦に振るまい。そこで太宰は考えた。人間社会における「失格」という概念を借りて、ミケの食生活における「失格」を描けばいいのだ、と。
「人間失格。これは、私自身であり、そしてミケの食欲不振を装った怠惰な食生活を指す言葉なのだ！」
太宰は興奮気味に書き進める。主人公は、常に空腹感に苛まれ、誘惑に負けては食べ過ぎてしまう青年。彼の行動は、ことごとくミケの食いしん坊ぶりをデフォルメしたものだった。
「朝食は控えめに、と決めたはずなのに、なぜか手が伸びてしまうチーズ。昼食はプロテインバーのみと決めたのに、気がつけば隣の喫茶店でカツカレーを注文している始末」
太宰は、ミケが餌をねだる時のあの哀れな目つきや、隠れてカリカリを盗み食いしようとする素振りなどを、こと細かに描写していった。
そんなある日、太宰は庭を散歩中、ふとある植物が目に入った。それは、猫が好んで食べるというあのマタタビの葉っぱだ。
「これだ！ これしかない！」
太宰は閃いた。物語の主人公に、この葉っぱを食べさせるのだ。そして、その葉っぱには、奇妙なダイエット効果があるという設定にする。
「彼は、ある日偶然、裏庭に生えていた奇妙な葉っぱを口にする。すると、どうしたことか、それまで抑えきれなかった食欲が、不思議と鎮まっていくではないか……」
もちろん、これは全て、ミケにマタタビを与えて食欲を抑えようという太宰の切実な願いの表れだった。しかし、物語は次第に、当初の目的から逸脱し、人間存在そのものへの問いかけへと変貌していった。
第三章：ミケの告白と文豪たちの深読み
同時期、太宰宅の縁側では、ミケが日向ぼっこをしながら、心の中で愚痴をこぼしていた。
「ニャー……（最近、太宰のやつ、やけに紙に向かってるニャ。そのせいで僕のご飯、減らされてるし。しかも、時々変な葉っぱ食わせるニャ。あれ、別に美味しくないし、変な気分になるだけニャ……）」
ミケは太宰の意図など知る由もなく、ただただ腹を空かせていた。
その頃、出版社では編集者が太宰の原稿を読み進めていた。
「太宰先生、これは……傑作です！ 人間の深い業と、生きる苦しみが、これほどまでに赤裸々に描かれた作品はかつてありません！」
興奮冷めやらぬ様子の編集者は、特にあの「奇妙な葉っぱ」の描写に感銘を受けていた。
「特に、あの奇妙な葉っぱの描写！ あれは、太宰先生ご自身の魂の叫びではありませんか！ 人間社会の欺瞞を暴く、先生の厭世観が凝縮されています！」
編集者の熱弁に、太宰は内心で首を傾げた。「魂の叫び」などと大層なものではない。ただミケを痩せさせたい一心だったのだが、そうは伝わらないようだ。
やがて、『人間失格』は出版され、世間を席巻した。文学界からも絶賛の嵐。文壇の重鎮たちも、口々に『人間失格』を評した。
「流石は太宰！ あの作品は、現代人の病理を猫の姿で風刺しているのだな。孤独な現代人の魂の遍歴が、見事に描き出されている」と、志賀直哉は真顔で語った。
坂口安吾は鼻で笑った。「太宰のデカダンスは、猫の食い意地から来ていたとはな！ しかし、無頼派たるもの、猫の肥満を嘆くとは滑稽千万！」
ご近所の奥様たちの間でも、『人間失格』と太宰、そしてミケの話題で持ちきりだった。
「あら、太宰先生のお宅のミケちゃん、最近本当に痩せたわねぇ。先生も随分お猫様のために苦心されてるのかしら。きっと、作品の中の『人間失格』ってのも、猫の食いしん坊な部分を反省してるってことなのよ」と、全くの見当違いな解釈で盛り上がっていた。
第四章：栄光と、猫と、そして…
『人間失格』の大ヒットにより、太宰は名声と富を手に入れた。おかげで、ミケには最高級のダイエットキャットフードを毎日与えることができるようになった。太宰の思惑通り、ミケはすっかりスリムになり、ご近所の奥様からも「あら、ミケちゃん、すっかりスマートになって！」と褒められるようになった。
「やったぞ、ミケ！ お前はもう、人間失格ならぬ、猫失格ではないぞ！」
太宰は上機嫌でミケを抱き上げた。ミケもまた、かつてのような肥満体ではなく、しなやかな体つきになっていた。
「ニャー（最近のご飯、美味しいニャ！ でも、まだちょっと足りないニャ……）」
しかし、その栄光の影で、太宰の心には、ある疑問がよぎっていた。
「私は、本当に傑作を書いたのだろうか？ それとも、ただの勘違いで、世間は私を過大評価しているだけではないのか？」
ミケのダイエットのために書いた物語が、いつの間にか「人間の本質を抉る」などと評価され、祭り上げられている。その事実に、太宰はどこか空虚さを感じていた。
第五章：衝撃の事実、猫文学の幕開け、そして太宰の「本当の」死因
昭和二十三年六月十三日。太宰治は、玉川上水に身を投じた。
その死は、世間では文学的な苦悩の果てとされた。しかし、真相は違った。最高のダイエットキャットフードを与え続けた結果、ミケが目標体重を達成し、ついには「ニャー！ もうダイエットなんて嫌だニャ！ 普通のカリカリが食べたいニャ！」と、ダイエット食を頑なに拒否するようになったのだ。
太宰は、ミケのあまりの頑なさに膝から崩れ落ちた。「ミケよ、お前まで私を見捨てるのか…！ これ以上、書く理由がない…！」
彼のポケットからは、びしょ濡れの遺書が見つかった。そこには、世間が期待するような文学的な内容は一切なく、ひたすらミケへの謝罪と、今後の食事に関する切実な指示が書き連ねられていた。
「ミケよ、許せ。もうこれ以上、筆を進めることはできない。お前が望む、あのチーズ入りのカリカリを存分に食わせてやれなかったこと、悔やんでも悔やみきれない…どうか、幸せに、好きなだけ食べるのだ…」
ミケは、その日も太宰の帰りを待っていた。やがて、太宰が帰らないことを悟ったミケは、そっと台所に向かう。そこには、まだ開封されていない、最高級ダイエットキャットフードの袋が置かれていた。ミケは、一粒のカリカリを口に含む。
「ニャー……（人間失格？ ふん、猫には関係ないニャ。今日のカリカリも、最高に美味しいニャ）」
太宰の遺作は、かくして、猫のダイエットのために書かれた、という真実（？）は、誰にも知られることなく、文学史に深く刻まれることとなった……はずだった。
それから数十年後。太宰治の未発表の書簡が発見された。そこには、詳細な猫の食事記録や、マタタビの効能について熱く語る記述、そして「この作品は、愛猫ミケの肥満克服を目的としたものである」という衝撃の一文が記されていた。
この発見は、文学界に激震をもたらした。「『人間失格』の真のテーマは猫のダイエットだった！？」という衝撃の事実に、文学研究者たちは大混乱に陥る。学会では激しい議論が巻き起こり、ある若手研究者が提唱した「猫文学論」は、当初は嘲笑されたものの、やがて新たな研究テーマとして注目を集めることとなった。
そして、この裏設定が明らかになったことで、世間では空前の猫文学ブームが巻き起こった。太宰の自宅跡地や、彼がマタタビを摘んだとされる庭は、猫の飼い主たちの間で「猫ダイエットの聖地」として崇められるようになる。さらには、『人間失格』とコラボした「奇妙な葉っぱ風味キャットフード」や、「猫失格Tシャツ」といったシュールな限定グッズが販売され、人気を博した。
『人間失格』は、当初の太宰の意図とは全く異なる形で、文学史に新たな金字塔を打ち立てたのだった。そして、ミケは、文学の新たな潮流を生み出した「陰の立役者」として、猫たちの間で密かに語り継がれていくこととなった。
この物語が、太宰治の作品を新たな視点から楽しむきっかけになれば幸いです…
コメント