第一章:始まりの夢
私、エリスは、小さな町で営む古びた本屋の埃っぽい空気の中で、代わり映えのしない日々を送っていた。古い本の匂いと、静寂だけが私の世界だった。
しかし、ある夜から、私の眠りはその単調さを打ち破られた。奇妙な夢を見るようになったのだ。夢の中で私はいつも、見知らぬ道を歩いている。足元は石畳だったり、土の道だったり、その表情は様々だが、道はどこまでも終わりなく続き、そのはるか先には、いつもぼんやりとした、しかし抗いがたい光が見える。
その光に手を伸ばし、あと一歩というところで、決まって私の意識は現実へと引き戻される。目が覚めると、枕は汗で湿り、心臓は不規則に高鳴っていた。
「また、あの夢だ……。」
夢は毎夜、まるで私を呼ぶかのように繰り返し現れ、次第に私は、あの光が私に何かを語りかけ、私をどこかへ誘っているような、漠然とした確信を抱くようになった。
ある午後、店の奥の、もう何年も開けていないような古箱の中から、埃まみれの古びた地図を見つけた。手書きで描かれた地図は、まるで時を超えて私を待っていたかのように、夢で見た風景と驚くほど酷似しており、その中心には、達筆な文字で「Pillgrimの道」と記されていた。
「Pillgrimの道……私が、この道を行くの?」
指で地図の線をなぞると、冷たい紙のはずなのに、じんわりと熱が伝わってくるような気がした。
その瞬間、私の退屈な日常は、終わりを告げた。私はこの旅が、私の人生に何か大きな意味をもたらしてくれると、心の底から信じていた。
第二章:旅立ち
地図に導かれるように、私は何の躊躇もなく旅に出た。背負ったリュックには、わずかな食料と水、そしてあの古地図だけ。本屋の扉に「しばらく休業します」と張り紙をして、私は見慣れた町並みに背を向けた。
地図が示す道は、想像以上に険しかった。鬱蒼と茂る深い森は昼でも薄暗く、一歩足を踏み入れるごとに、朽ちた落ち葉が音を立てた。時には、遠くで獣の唸り声が響き、私の鼓動は速まったが、不思議と恐怖は感じなかった。それよりも、この未知なる道を進むことへの、抑えきれない高揚感が勝っていた。
「この先に、あの光が……、私の求めるものがきっとある。」 私は何度もそう呟き、自分を奮い立たせた。
夢で見た、木々の間から差し込む光の筋や、苔むした岩肌が、現実の道とぴたりと重なるたび、私は自分が正しい、定められた道を進んでいるのだと確信を深めた。
旅の途中、道端の大きな木の下で休んでいると、どこからともなく現れた不思議な老人に会った。彼の目は、まるで千年の時を見てきたかのように深く、その口元には不可解な笑みが浮かんでいた。
「お嬢さん、どこへ行くのかね?」老人は嗄れた声で尋ねた。
「Pillgrimの道を進んでいます。あの、光を目指して。あなたは、この道のことをご存知なのですか?」 私は迷わず答えた。
老人はその笑みをさらに深くし、首をゆっくりと傾げた。
「ほう、Pillgrimか。それは大変な旅になるだろうな。この道は、歩く者を選ぶ。そして、選ばれた者だけが、真実を見るだろう。だが、真実は常に、望む姿で現れるとは限らんぞ? かつて多くの者が、あの光を追ってこの道を進んだが、戻ってきた者はほとんどいない。そして、戻ってこない彼らが、その後どうなったか……お前には想像できるか?」と、意味深な言葉を残し、まるで霧のように、そのまま姿を消した。
彼の言葉は、私にわずかな不安と、それ以上の期待を抱かせた。私は彼の言葉の意味を、頭の中で反芻しながら、さらに奥へと足を進めた。
第三章:誘惑
道は、これまでの険しさとは打って変わって、まるで楽園のような不思議な様相を呈してきた。足元には見たこともない色とりどりの花が咲き乱れ、あたりには甘く、人を惑わせるような香りが漂っている。遠くからは、美しい泉のせせらぎと、それに混じる魅惑的な歌声が聞こえてくる。
「なんて甘美な場所……、このままここに居たい。」 私は何度も足を止めそうになった。
この場所で永遠に身を委ね、この甘美な感覚に浸っていたいという、抗いがたい誘惑に駆られたのだ。その歌声は、故郷で私が愛した、今は亡き母の優しい子守唄に聞こえた。幻覚だと分かっていながらも、心が揺さぶられる。
しかし、そのたびに、脳裏にはあの夜ごと見た、遠い光の輝きが鮮やかに蘇り、私はかろうじて、その誘惑を振り払い、再び歩き出すことができた。
「いけない、私は、あそこへ行かなくては……。母さん、ごめん、まだ私は立ち止まれない。」
あの光こそが私の目的であり、これまでの苦難を乗り越えてきた理由なのだと、自分に言い聞かせた。
ある日、目の前に突然、豪華絢爛な屋敷が現れた。その扉は大きく開かれ、中からは楽しげな音楽と、食欲をそそる芳醇な匂いが漂ってくる。屋敷の奥からは、人々の楽しそうな話し声が聞こえ、まるで祭りでも開かれているかのようだった。
やがて、屋敷の奥から、絹のような長い髪と、人を魅了する微笑みを湛えた美しい女性が現れた。
「さあ、こちらへ。旅の疲れを癒してください。私たちの屋敷には、尽きることのない喜びがあります。疲れた体で、まだそんな遠い場所を目指す必要など、どこにあるのです? ここで永遠の安らぎを手にしなさい。」女性は優しく、しかし確かな誘惑の眼差しで私を見つめた。
私は一瞬、その誘いに乗ろうかと思い、一歩足を踏み出しかけた。
「いや……私は、進むべき道がある。この喜びは、私の求めているものではない。」
やはり光に呼ばれている、あの本能的な感覚が勝り、私は女性に会釈をして、屋敷を通り過ぎた。その時、屋敷の中から聞こえていた笑い声が、一瞬にして消え失せ、代わりにぞっとするような沈黙が訪れたような気がしたのは、気のせいだろうか。
第四章:試練
道はついに、緑豊かな森や甘美な誘惑の地を抜け、灼熱の荒れ果てた荒野へと続いた。頭上には容赦なく灼熱の太陽が照りつけ、乾いた風が容赦なく砂を巻き上げる。喉はカラカラに乾き、リュックの中の水はとうに尽きていた。食料も底をつき、体力は限界に達していた。
熱と疲労からか、幻覚が見え始め、意識が朦朧としてくる。目の前にはオアシスが見えるのに、近づくと消える。水辺にたどり着いたと思えば、それはただの熱気の揺らめきだった。
「もう、だめかもしれない……。体が動かない……。」
私は何度もその場に倒れそうになったが、そのたびに、あの老人の意味深な言葉と、夢で見た光景が、まるで私を鼓舞するかのように脳裏を駆け巡り、私を奮い立たせた。「これは、試練だ。乗り越えなければ……! 光は、すぐそこにあるはずだ。」
私は、これがPillgrimの道における、最後の、最も厳しい試練なのだと悟った。どれほど苦しくても、ここで諦めるわけにはいかない。私の旅の目的は、あの光に辿り着くことなのだ。私は最後の力を振り絞り、喉の奥から絞り出すような呼吸をしながら、ただひたすらに、一歩また一歩と歩き続けた。
その荒野で、私はもう一人の旅人、顔色の悪い痩せた男とすれ違った。彼の目は虚ろで、焦点が合わず、私を見つめると、乾いた唇を震わせて言った。
「光など……、ない……。これは、果てしない、砂の牢獄だ……。お前も、そうなる……。」
男はそう言い残し、次の瞬間には砂漠の中に溶け込むように消えてしまった。彼の言葉は、私の心に冷たい水を浴びせるようだったが、それでも私は立ち止まらなかった。
夜には荒野の冷気が肌を刺し、体は凍えそうになった。それでも、私は空の星々を唯一の頼りとして、足元を確かめるように進んだ。もう、私を突き動かすのは、あの光への狂気にも似た執着だけだった。
第五章:真実の光
どれほどの時が経っただろうか。数日か、あるいは数週間か。時間の感覚すら曖昧になっていた。それでも私は歩き続け、ついに、道の遥か先に、あの光が見えた。夢で見てきた、ぼんやりとした曖昧な光ではない。それは、もはや私を呼ぶというよりも、私を焼き尽くすかのように、まばゆいばかりに輝き、私の全身を容赦なく包み込んだ。そのあまりの輝きに目を細めながら、私は光に導かれるように、最後の力を振り絞って、その場所へとたどり着いた。
しかし、私の目に映ったのは、あまりにも予想外の光景だった。そこには、何もなかった。広大で、ただひたすら何もない、荒涼とした平原が広がるばかりで、私が幾度もの苦難を乗り越え、命をかけて探し求めていたような「何か」は、どこにも、一片も見当たらなかったのだ。私は呆然と立ち尽くした。
「嘘だ……こんなはずは……何もないじゃないか!私の全てを捧げて、ここまで来たのに……!」
ここまで苦労して、甘美な誘惑や過酷な試練を乗り越え、ここまで辿り着いたというのに。一体、私は何のために……。
その時、背後から、ひどく冷たい声がした。
「お疲れ様でした、Pillgrimよ」。
振り返ると、あの老人が立っていた。彼の顔には、これまで見たことのない、冷酷な笑みが浮かんでいた。
「真実とは、時に残酷なものだ。理解できたかね?」。老人はにやりと口角を上げた。
「あなたが見た光は、あなた自身の強すぎる渇望が作り出した、ただの幻影に過ぎなかったのですよ。そして、この何もない場所こそが、あなたの旅の終着点。つまり、あなたは、あなたの内なる欲望に突き動かされ、結果として、何もない場所へと辿り着いた、というわけだ。何も得られず、すべてを失って、ね?」
私は言葉を失った。全身から力が抜け、その場に崩れ落ちそうになった。老人はゆっくりと私の肩に手を置いた。その手は、まるで死者のようにひどく冷たく、私の体温を吸い取っていくかのようだった。
「このPillgrimの道に、終わりなどない。あるのは、ただ『光』を追い求め、ここへ辿り着いた愚かな者たちの、無限の絶望だけだ。かつてこの道を歩んだ者たちは皆、あなたの見た『光』の幻影に囚われ、この平原の一部となった。私もまた、そうしたPillgrimの一人だったのだ。そして、あなたもまた、そうなるだろう。私のように、永遠に、この場所の監視者として、次のPillgrimを待つのだ。」
私はその冷たさで、自分がこの何もない平原に、永遠に囚われるのだと悟った。私の旅は、始まりから終わりまで、ただの幻想だったのだ。遠く、はるか地平線の向こうに、私が旅に出る前の、あの小さな本屋の明かりが、ぼんやりと見えた気がした。それは、もう二度と戻れない、遠い日の、手の届かない幻だった。私は、途方もない絶望の中で、小さく、乾いた笑いを漏らすことしかできなかった。
「は、はは……結局、私は、何一つ手に入れられなかった……。この場所で、永遠に……。」 私の目に映る光は、もはや希望の輝きではなく、私を嘲笑うかのような、冷たい虚無の輝きへと変わっていた…
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