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SCENE#6 目覚めの空の下で

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第1章:囁き

夕暮れの広場に、情報省が流す「真実の歌」が響き渡る。その音は、ただ耳に届くだけではない。脳の奥深くに直接響き渡り、思考の襞(ひだ)をなでるように均一化していく。人々は皆、同じリズムで体を揺らし、空虚な目を巨大なスクリーンに向けた。巨大な指導者の肖像画が、広場全体を見下ろしている。

その目は常に国民の目を捉え、彼らの心の奥底にまでその威光を刻み込んでいるかのようだった。しかし、アキラとミカだけは違った。彼らの心には、ほんの小さな、だが確かな疑問の種が芽生えていたのだ。それは、この数日間の、説明のつかない心のざわめきだった。

「また同じ歌だ…もう聞き飽きたわ」

ミカが、誰にも聞こえないように小さく呟いた。その声は、広場の喧騒にかき消されそうになるほど微かだったが、アキラは確かに聞き取った。数年前、友人が突然消え、数週間後に「再教育」を終えて戻ってきた時には、別人のように空虚な目をしていた記憶が、彼らの脳裏をよぎる。「あの恐怖が、自分たちの思考が本当に正しいのか、情報省の教えが幻想だというのか、何度も自問自答させたわ…」彼女はそう付け加えた。それでも、その「囁き」は、決して消えなかった。

アキラは、広場の隅で配給される合成食料の列に並びながら、そっとミカの手を握りしめる。彼の指先が、彼女の冷えた掌に触れた。「聞こえるか?あの雑音の中に、何か別の声が混じってる」

それは、情報省が「反逆の囁き」と呼び、厳しく禁じている周波数の断片だった。数日前から、彼らが密かに手に入れた、壊れかけの旧式通信機が、夜中に微かに拾い始めるようになったその声は、まるで耳元で直接語りかけてくるかのように、この国の「真実」がいかに虚偽に満ちているかを告げていた。都市を囲む高い壁の向こうには、異なる世界があると。自由な空が広がっていると。そして、何よりも、「あなた方は、騙されている」と。子供たちが無邪気に口ずさむ「真実の歌」の歌詞が、いかにねじ曲がった内容であるかを思い知らされるたび、アキラは吐き気がした。

その夜、アキラとミカは、彼らの狭い、灰色の部屋で静かに話し合った。窓からは、監視ドローンの赤い光が定期的に巡回しているのが見える。 「もう限界よ、アキラ。このままでは、私たちもあの人たちと同じになってしまうわ」ミカの声は震えていた。

「あの空虚な目になるなんて、私、耐えられない…」

自由を求める一方で、故郷とも呼べるこの都市を捨てることへの一抹の寂しさが胸をよぎる。安定した生活を失うことへの恐怖もあった。 アキラは彼女の瞳を見つめる。「ああ、決めたんだ。逃げ出す。この閉ざされた世界から、抜け出すんだ。生きるために…」 「でも、どこへ?どうやって?壁の向こうなんて、情報省のプロパガンダでしか聞いたことがないわ」ミカが不安げに問う。彼らの周りには、プロパガンダに深く洗脳された人々が、まるで目に見えない壁のように立ちはだかっていた。家庭内の些細な会話さえ、いつ隣人によって密告されるか分からない。「もし見つかったら…再教育なんて、死ぬより恐ろしいものよ」一歩間違えれば、彼らもまた「再教育」の名のもとに、記憶を改ざんされ、感情を失った存在へと変えられてしまうだろう。それは、都市に生きる者にとって、最も恐ろしい末路だった。

第2章:追跡

逃亡は予想以上に困難を極めた。都市のすべての監視カメラは、彼らの行動を逐一追っていた。街路の隅々まで張り巡らされたセンサーが、わずかな異常も見逃さない。さらに、AIによる顔認証システムは、瞬時に彼らの身元を特定し、市民同士の相互監視が、わずかな不審な動きも情報省へと報告する体制を敷いていた。最初の試みは、廃墟となった旧市街の地下水路を通るルートだった。地図によれば、それは都市の境界線のすぐ近くまで伸びていたはずだ。だが、薄暗い、悪臭の立ち込める水路の出口は、すでに情報省の兵士によって厳重に封鎖されていた。兵士たちの冷たい視線が、暗闇の中で光る。

「くそっ、もうバレてたのか…!」

アキラが歯噛みする。彼らは寸前のところで引き返し、錆びた鉄骨が剥き出しになった薄暗い路地裏を駆け抜けた。足元には、朽ちたゴミが散乱している。彼らは古い監視カメラの死角を利用し、ダミーの足跡を作るために、泥を擦り付けた古布を後ろ手に引きずった。「これで少しは時間稼ぎになるはずだ」アキラは言い聞かせるように呟いた。

「奴ら、もう気づいてるわ!追手が来てる!」ミカが息を切らしながら叫んだ。背後からは、情報省の最新鋭巡回ドローンの、不気味に唸る羽音が近づいてくる。「あの音…もうすぐそこよ!」彼らの存在は、すでに「逸脱者」としてマークされたのだ。都市の情報網は、想像以上に緻密だった。

ミカは、背中のリュックから古びた地図を引っ張り出した。それは、アキラの祖父が密かに残していた、旧時代の都市計画図だった。何十年も前に禁書とされ、情報省によってその存在すら消し去られたはずの地図だ。そこには、情報省がその存在を隠蔽してきた、忘れ去られた地下通路の存在が、鉛筆で記されていた。

「これよ、アキラ!ここを通れば、あの壁の外に出られるかもしれない!」彼女の指が示すのは、都市の最外郭に位置する、廃墟と化した地区だった。

地図が示す場所は、情報省の管理が比較的緩いとされていた旧市街の廃墟だった。そこには、過去の文明の残骸が打ち捨てられ、朽ちたビル群がまるで巨大な墓標のように立ち並んでいる。だが、そこへたどり着くには、最も危険な区域を横断しなければならなかった。それは、プロパガンダに最も深く浸食された、狂信的な住民たちが徘徊する「検問区」を意味していた。崩れかけた建物からは、いつ瓦礫が落ちてくるかわからない。時折、野生化した犬のような獣の咆哮も聞こえてきた。「あの廃屋まで走って!そこで隠れる場所を探すのよ!」ミカが指示を出す。途中で見つけた廃屋の隅で、二人は腐りかけた缶詰を口にした。「味がしないわ…でも、生きるためには…」ミカは顔を歪ませた。胃を満たすことよりも、その場所で息を潜めることの方が重要だった。

第3章:潜入

旧市街は、プロパガンダに感化された「自警団」が徘徊する危険な場所だった。彼らは情報省の教えを盲信し、わずかな不審な動きも見逃さない。その目は、獲物を探す獣のようにギラギラと光っている。アキラとミカは、廃墟となった劇場の裏口から、音を立てないように忍び込んだ。ホコリとカビの匂いが充満する中、彼らは古びた舞台衣装を身につけ、自警団の目を欺くために、疲弊した貧しい住民のふりをした。

「どうか、怪しまれないで…」ミカが震える声で呟き、汚れた布で顔を覆い隠した。「目を合わせちゃだめよ。彼らはわずかな動揺も見逃さないから」

舞台の上には、かつて華やかな演劇が繰り広げられたであろう名残が、痛々しく残っていた。しかし今は、埃まみれの緞帳と、腐りかけた木材の匂いだけが漂っている。アキラは、祖父の地図が示す隠し通路の入り口を探した。壁に描かれた奇妙な幾何学模様、足元に埋め込まれた古びたタイルの不自然な配置。それらが地図と寸分違わず合致した時、隠された扉が目の前に、まるで幻のように現れた。それは、巧妙に隠された、石造りの扉だった。扉の表面には、旧時代の象形文字のようなものが薄く彫り込まれている。アキラは、廃墟で拾った古いバールを使い、慎重に扉の隙間を探った。「これだ、間違いない…!」

だが、その時、劇場の外から、けたたましいサイレンの音が鳴り響いた。そして、それに続く自警団の怒鳴り声と、重い足音が聞こえてきた。「動くな!見つけたぞ!」彼らは既に、何者かが廃墟に侵入したことに気づいていたのだ。扉の向こうから、訓練された犬の吠える声も聞こえる。「くそっ、もうここまで来やがったのか!」アキラは焦りながら叫んだ。彼は急いで扉を開け、ミカを中に押し込んだ。

「早く、ミカ!もう時間がない!」アキラが叫び、自分も滑り込むように扉の向こうへ飛び込んだ。その瞬間、背後で、自警団の怒号が間近に迫っていた。「逃がすな!捕まえろ!」扉が閉まる直前、アキラは、自警団の一人が耳につけた通信機に向かって、「ターゲット確認、劇場内へ進入!情報省の音響センサーが機能した模様!」と叫ぶのを聞いた。情報省が仕掛けた罠だった。

第4章:覚醒

地下通路は、想像以上に長く、そして暗かった。湿った空気と土の匂いが彼らを包み込む。水滴が天井から絶え間なく落ち、足元の水たまりに波紋を広げた。壁には旧時代の配管が複雑に絡み合い、冷たい空気が肌を刺した。それでも、彼らは希望を捨てずに歩き続けた。疲労困憊で、足を引きずるように進む中、アキラは廃墟で拾った懐中電灯で足元を照らし、ミカは古い水筒に残った水を少しずつ分け合った。「もうどれくらい歩いたのかしら…終わりが見えないわ」ミカは弱々しく呟いた。アキラは彼女の背をそっと撫でた。「もう少しだ、ミカ。きっと光が見える」そして、その先に光が見えたとき、彼らの心には一気に希望が満ちた。

「出口だ…!やっと…!」ミカの顔に、安堵の表情が浮かんだ。しかし、それは束の間の安堵だった。

だが、その光は、彼らが想像していたものとは違った。それは、情報省の監視塔から放たれる、眩しいサーチライトだった。彼らは、まんまと罠にはまったのだ。出口の先には、銃を構えた兵士たちが、無数のライトに照らされて立ち並んでいた。彼らの目には、何の感情も見て取れない。ただ命令に従うだけの、プロパガンダの生きた証人だった。その冷たい視線が、アキラとミカを射抜く。兵士の一人が、通信機で状況を報告しているのが聞こえる。「逸脱者を発見。包囲完了。直ちに投降させます」

「投降しろ!お前たちの思想は誤っている!この国の秩序を乱す愚かな行為だ!抵抗すれば、容赦なく排除する!」拡声器から響く声が、地下の空間に反響し、耳障りなほど大きく響き渡る。

アキラはミカを庇い、通路の奥へと後退した。しかし、もう逃げ場はない。「どうするの、アキラ…?」絶望が彼らを包み込もうとしたその時、ミカの目が、地下通路の壁に描かれた、消えかかった壁画に留まった。それは、旧時代の自由を謳う、忘れ去られた詩だった。壁に刻まれた文字は、かろうじて読み取れるほどに薄くなっていたが、その言葉の一つ一つが、ミカの脳裏に鮮やかに蘇った。

「思い出したわ、アキラ…!この詩よ!」ミカは震える声で叫んだ。「私たちが、この国の真実を信じていた頃、隠れて読んでいた詩よ!

『鎖を断ち、空を見上げよ。真実の光は、自らの内に。』」

彼女の声は、兵士たちの無感情な目に、ほんのわずかな動揺を与えた。彼らの顔に走った動揺は、一瞬にして消し去られるはずの、しかし確かに宿った人間性の光だった。アキラはミカの言葉を繰り返し、大声で叫んだ。「鎖を断ち、空を見上げよ!真実の光は、自らの内に!」自由、選択、真実。プロパガンダが何十年もの間、国民から消し去ろうとしてきた言葉を、彼らは魂を込めて叫んだ。

兵士たちの顔に、困惑の色が浮かぶ。彼らの洗脳が、ほんのわずかながら、揺らぎ始めていた。最前列にいた一人の兵士が、銃を下ろしかけたように見えた。彼は、かつて自分も夜中に微かな「囁き」を聞いたことがあったことを、ぼんやりと思い出していた。その囁きが、今、目の前で叫ばれている。兵士の隊長が怒鳴る。「何をしている!発砲しろ!命令だ!」しかし、彼の声にも、以前のような絶対的な響きはなかった。兵士たちの間には、一瞬の沈黙が落ちた。

兵士たちの顔に、困惑の色が浮かぶ。彼らの洗脳が、ほんのわずかながら、揺らぎ始めていた。最前列にいた一人の兵士が、銃を下ろしかけたように見えた。彼は、かつて自分も夜中に微かな「囁き」を聞いたことがあったことを、ぼんやりと思い出していた。その囁きが、今、目の前で叫ばれている。兵士の隊長が怒鳴る。「何をしている!発砲しろ!命令だ!」しかし、彼の声にも、以前のような絶対的な響きはなかった。兵士たちの間には、一瞬の沈黙が落ちた。

第5章:夜明け

アキラとミカの叫びは、兵士たちの心に、さざ波のような微かな揺らぎを生み出した。彼らは命令と、心の奥底で忘れ去られていた感情の狭間で、一瞬立ち止まった。その隙を、アキラは見逃さなかった。彼はミカの手を取り、兵士たちの間をすり抜け、サーチライトの光の外へと、無我夢中で飛び出した。

「行くぞ、ミカ!今だ!」

彼らが駆け出した先には、信じられない光景が広がっていた。都市を囲む巨大な壁の向こうには、情報省が「汚染された大地」と称した、死の世界のような荒野が広がっていた。しかし、そこには確かに、無数の星が瞬く夜空と、肌を撫でる自由な風が吹いていた。都市の中では決して見ることのできなかった、本物の夜空だった。星空は美しかったが、同時に、この広大な世界で自分たちがどれほど無力であるかを突きつけた。「こんな空が、あったなんて…」ミカは息をのんだ。

背後からは、兵士たちの混乱した声が聞こえてくる。「待て!」「なぜだ!発砲しろと命じたはずだ!」最前列の兵士が、発砲命令が出たにもかかわらず、わずかに銃口をずらしたのをアキラは見た。他の兵士たちも、互いに顔を見合わせている。追跡は、もはや意味をなしていなかった。彼らは、もうプロパガンダに支配された存在ではないのだ。

アキラとミカは、荒野をひたすら走った。足元の土を踏みしめるたびに、自由の感覚が全身に広がる。彼らの心には、まだ不安もあった。この先の見えない旅が、どこへ向かうのか。食料も、知識も、この世界では何もない。「ここから、どこへ行くの?本当に、私たちだけで大丈夫なの?」ミカは不安げに尋ねた。アキラは彼女の手を強く握り返した。「大丈夫だ。もう、誰かに操られることはない。自分たちの足で、自分たちの未来を見つけるんだ」

東の空が、かすかに白み始める。地平線の向こうから、ゆっくりと太陽が昇り始めた。その光は、ただの日の出ではなかった。それは、プロパガンダの欺瞞が晴れ、真実の光が差し込む、希望に満ちた夜明けだった。アキラとミカは顔を見合わせ、そっと手を取り合った。その手から伝わる温もりは、彼らがこの広い世界で、二人きりではないことを教えてくれた。この光は、自由を求めるすべての人々への、新しい時代の幕開けの象徴なのだと。彼らは、希望を胸に、ただ前へと進んでいく。「新しい一日が始まるわね…本当に」ミカが呟き、アキラは深く頷いた…

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