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SCENE#4 明智小五郎、事件はいつもご近所から

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第一章 奇妙な依頼と自称の始まり

午前9時。雨戸の隙間から差し込む、薄く埃っぽい光が、ますます薄暗い僕の探偵事務所を心もとなく照らしていた。古びた木製の棚には、背表紙が色褪せた推理小説が所狭しと並び、その間から漂うインクと紙の懐かしい匂いが、僕の唯一の安らぎだった。僕はベッド代わりにしている軋むスプリングのソファで、かすかに寝息を立てながら二度寝を楽しんでいた。

「ああ、このまま永遠に、霧のかかったロンドンの街を名探偵として闊歩する夢の中に…」そんな平和な朝を破ったのは、バタン!というけたたましいドアの開閉音と、焦ったような老人の甲高い声だった。

「先生!大変なんじゃ!」

飛び込んできたのは、近所に住む山田のおじいちゃん。しわくちゃの顔はさらに縮み上がり、目は血走っている。「おや、おじいちゃん。また何かありましたか? もしかして、宇宙人が庭の苔むした盆栽を盗もうとしていたとか? あの盆栽、なかなか年季が入っていますからね」僕は伸びきった背筋をゆっくりと伸ばし、寝ぼけ眼を擦りながら言った。実のところ、僕は本職の探偵ではない。妻に逃げられた挙げ句、細々と営む古本屋の店主だ。ただ、幼い頃から推理小説が好きで、暇さえあればページをめくり、活字の海に溺れているうちに、「名探偵・明智小五郎」を自称するようになったのだ。「この鋭い眼光(だと自分では思っている)、そしてこの知的な佇まい…まさしく探偵の星だ! いつか必ず、Scotland Yardからスカウトが来るだろう」と、埃だらけの鏡を見るたびに確信している。近所の人たちは、僕の奇妙な言動を面白がって、たまに本当にどうでもいいような相談を持ちかけてくる。

「違う!今回はもっと緊急事態なんじゃ!わしの…わしの宝物が消えてしもうた!」おじいちゃんの声は、乾いた喉から絞り出すように震えていた。

「宝物、ですか? 確か、古伊万里の壺とか、江戸時代の掛け軸とか、鑑定団に出したらとんでもない値段がつくようなものがたくさんあったはずでは? あれらは、確かひんやりとした独特の感触が…」

「そんなものどうでもええ! わしにとっての真の宝物は、埃をかぶった骨董品などではないんじゃ! 消えたのは、昨晩わしが寝る前に仏壇にそっと供えた、とっておきの栗饅頭なんじゃよ! あの、しっとりとした皮に包まれ、中には蜜のように甘い餡と、ほっくりとした栗が丸ごと一つ入っておる、あの逸品が!」おじいちゃんの語り口からは、忘れがたい甘美な記憶が滲み出ていた。

栗饅頭。僕は額に手を当てた。「よりによって栗饅頭、ですか…。これは一筋縄ではいきませんな。私の探偵人生において、血なまぐさい宝石泥棒や、複雑な遺産相続の事件は経験がありますが、饅頭の失踪事件は初のケースですよ」今日の「探偵」稼業も、甘く危険な香りに満ちた、前途多難な予感がした。

第二章 欲にまみれた隣人と空腹の代償

山田邸の静まり返った仏間の、磨き込まれた黒檀の仏壇の前には、空になった饅頭の皿が侘しく置かれていた。かすかに残る甘い香りが、消えた宝物の存在を物語っているようだった。おじいちゃんは、隣の築年季の入った家を、恨めしそうな濁った瞳で睨みつけている。

「先生、よく見てくだされ! この皿の空虚さ! そして、この鼻をくすぐるような、消え去った甘い残り香! 犯人は、絶対にあの田中じゃ! あやつは昔からわしの美味しいものを、ズルズルと盗み食いする悪癖があるんじゃよ!」

僕は言われるがまま、重く湿った空気が漂う庭を抜け、隣の田中さんの家へ向かった。田中さんは剪定ばさみの小気味良い音を立てながら、緑が濃い盆栽の手入れをしており、日に焼けた穏やかな笑顔で僕を迎えてくれた。

「おや、明智さん、どうされました? ずいぶん朝から活動的ですな。まさか、また山田さんの飼い猫が、軒下で日向ぼっこをしている宇宙人と交信しているとか、そんな突飛な相談ではありませんよね?」

僕は少々居心地が悪かったが、事情を説明した。「田中さん、実は山田さんから栗饅頭の失踪事件の依頼を受けましてね。どうやら、田中さんを…その、容疑者として考えているようなんですが…」

田中さんは目を丸くして、力強く否定した。「あらあら、それは心外ですなぁ。山田さんの栗饅頭ですか。それは知りませんなぁ。しかし、ちょうど良い時に来られました。うちの妻が昨日、ふっくらと蒸しあがった抹茶大福があるんですが、よかったらどうぞ。鮮やかな緑色と、口にした瞬間に広がる抹茶のほろ苦い香りがたまらない逸品でしてね」

抹茶大福。もちもちとした感触と、上品な甘さの誘惑に抗えるほど、僕の腹は満たされていなかった。「うむ、これは事件の聞き込みというより、胃袋への直接的な攻撃ですな。だが、これも犯人のアリバイを探るための重要な捜査の一環…」結局、僕は田中さんの家で熱いお茶と共に抹茶大福をご馳走になり、栗饅頭の件はすっかり頭から離れてしまった。おじいちゃんの言う「欲にまみれた顔」は、もしかしたら甘いものに目がくらんだ僕自身の顔だったのかもしれない。「しかし、この抹茶大福、舌の上でとろけるような滑らかさといい、奥深い抹茶の風味といい…美味すぎて事件どころではないぞ…!」

山田邸に戻ると、おじいちゃんは僕の顔を見るなり、「どうじゃった! やはり田中が! あやつの顔はどんなだった! 良心の呵責に苛まれて、青ざめておったじゃろうな!」と詰め寄ってきた。「いえ、おじいちゃん。田中さんは湯呑から立ち上る温かい湯気のような、穏やかな笑顔で抹茶大福を勧めてくれました。とても美味しかったです。彼は終始、庭の草花のように、落ち着いた顔をしていましたよ」僕の言葉に、おじいちゃんは盛大にため息をついた。「なんじゃと! わしの栗饅頭はそっちのけで大福を食うたのか! 先生、あんたは本当に人の心の機微を読む名探偵なのかね!!?」

第三章 足跡と猫の毛と的外れな推理

事務所に戻り、古びた木の床に落ちる午後の柔らかな日差しを浴びながら、改めて事件について考えてみた。仏壇の周りに、肉眼では見過ごしてしまいそうな、小さな足跡のようなものがいくつか見えた気がする。「これは…犯人の隠されたメッセージに違いない!」まさか、本当に泥棒…いや、饅頭泥棒か?僕は長年使い込んだ虫眼鏡を取り出し、埃っぽい畳の目を凝らし、熱心に床を調べ始めた。「うむ、これは重要な手がかりだ…見つけましたぞ、おじいちゃん! 私の推理は、すでに核心に迫っています!」(この時、僕は足跡の隣に落ちていた米粒を、犯人が落とした重要な証拠だと勘違いしていた)

「先生!何か手がかりはありましたか! 猿でも見つけたのかね!?」おじいちゃんが不安げな表情で心配そうに覗き込んでくる。

「この足跡…そしてこの光に透かすとキラキラと光る奇妙な毛並み…犯人は…おそらく、小柄な人物ですね!足跡の幅からして、子供か、あるいは…」僕は頭の中で様々な可能性を高速でシュミレーションし、閃いた。「もしかしたら、猿かもしれません! あの木々を飛び回る俊敏な動き、そして甘い果実への異常なまでの執着! 昨日の夕刊にも、近所の公園で迷子の猿が出没したという記事が載っていました! すべての辻褄が合いますぞ!」(実際には、記事は隣町の動物園から逃げ出した孔雀の話だったのだが、僕はすっかり猿だと思い込んでいた)

「猿!? この辺りに猿なんておらんぞ! 先生、あんたは一体何を言い出すんじゃ! もっと現実的な推理をしてくれ!」おじいちゃんは半ば諦めたような呆れ顔だ。しかし、僕は確信していた。「いや、おじいちゃん。私の推理は論理的帰結に基づいた、完璧なものだ。最近、近所の公園で猿が出没したという確かな情報を耳にしましたからな! きっとその猿が、甘い誘惑に負けて、おじいちゃんの栗饅頭を盗んでいったに違いない!」

僕はすぐに使い古しの帽子を深く被り、公園へと向かい、茂みの中や木の枝を、目を皿のようにして探したが、猿の影も形も見当たらない。代わりに、湿った落ち葉の山に足を取られ、大量の落ち葉と、強烈な臭いを放つどこかの犬のフンを踏んでしまっただけだった。「くっ、猿め、巧妙に隠れ蓑を使っているとは…! だが、必ず尻尾を掴んでみせるぞ!」事務所に戻ると、おじいちゃんはさらに不機嫌になっていた。そして、仏壇のそばには、先ほどまではなかったまるで絹糸のように白い猫の毛が、風に吹かれてふわふわと落ちていた。「…これは一体…? 猿の毛にしては、あまりにも上品すぎるな…」僕は新たな謎に首を傾げた。

第四章 鍵泥棒と意外な犯人像

その時だった。「明智先生!大変です! 本当に大変なんです! 一大事です!」今度は近所の湯気が立ち上る銭湯の番台、顔じゅうにしわを刻んだ鈴木おばあちゃんが、息を切らせ、顔面蒼白で慌てた様子で飛び込んできた。「うちの番台の鍵が、どこを探しても見つからないんです! お客さんが脱衣所で困っているのに、鍵が開けられないんです!」

僕は頭を抱えた。「栗饅頭泥棒の次は、鍵泥棒ですか。今日は一体どうなっているんだ…私の名探偵としての威厳が地に落ちてしまうではありませんか」

「誰かに盗まれたに違いありません! きっと、いつも料金をちょろまかそうとする、あの柄の悪い若者に違いありません! あの男のギョロっとした目は、まるで泥棒そのものですから! 以前にも、石鹸をこっそり持ち帰ろうとしたのを見たことがあります!」鈴木おばあちゃんは、縋るような眼差しで僕の腕を掴んで訴えかけた。

おばあちゃんに促され、僕は湯の匂いが染み付いた銭湯へと向かった。「よし、私が一肌脱ぎましょう! 銭湯の平和は、この明智小五郎が守ってみせます!」番台の中は物が散乱しており、確かに鍵があったはずの、使い込まれた木の引き出しは空っぽだった。

「ふむ、これは手強いですな…犯人はプロの仕業か…? 鍵穴にわずかに残る傷…これはピッキングの跡かもしれません!」(実際には、おばあちゃんが慌てて鍵をかけた際にできた傷だったのだが、僕はすっかりプロの鍵師の犯行だと決めつけていた)僕は若者の特徴を聞き出し、汗の匂いが立ち込める近所を探し回ったが、それらしい人物は見つからない。途方に暮れて、湯船から聞こえる話し声が響く銭湯に戻ると、鈴木おばあちゃんが番台の隅にある、年季の入った裁縫箱をガサゴソとまさぐっていた。「あれ…? おかしいわねぇ…どこにしまったかしら…」

おばあちゃんが裁縫箱の中から取り出したのは、ピカピカと光る真鍮製の番台の鍵だった。「あらやだ! こんなところに! 私としたことが、うっかり針仕事の途中で、糸巻きと間違えて入れちゃったみたいだわ! いやだ、もうボケが進んだかしら…」一件落着…とはいかなかった。僕の推理力は全く発揮されず、捜査時間は無駄に過ぎ、疲労感だけがズッシリと残った。「まさか、犯人がご本人とは…私の推理の余地などなかったとは…」

第五章 真相と新たな困惑

事務所に戻ると、山田のおじいちゃんがまだ不安げに待っていた。僕の顔を見るなり、「先生、わしの栗饅頭は一体どうなったんじゃ! 猿は見つかったのか!? わしの宝はどこへ…!」と、今にも泣き出しそうな声で詰め寄ってきた。

僕は、おじいちゃんの足元で喉をゴロゴロと鳴らし、気持ちよさそうに丸まっている、雪のように白くてふくよかな野良猫に目をやった。その猫のピンク色の肉球のそば、そして白いひげのあたりには、微かに栗色でねっとりとした餡が付いているのが見える。

「おじいちゃん…大変申し上げにくいのですが、冷静に状況を分析した結果、そして、この決定的証拠(と猫の口元の餡を指差す)から、おそらく犯人は…この猫ですよ」

おじいちゃんは目を丸くしたが、猫の穏やかな寝息と、そのまん丸とした幸せそうな顔、そして何より、心なしかふっくらとしたお腹を見て、肩の力が抜け、苦笑いを浮かべた。

「なんじゃと! よりによってわしの可愛い白猫のミーちゃんか! しかし、こんなに満足そうな顔をして、美味しそうな匂いをさせておるんじゃったら、まあ、ええか。わしの栗饅頭も、ミーちゃんの幸福な一生の糧になったと思えば、本望じゃろうて」

一件落着…したはずだった。しかし、その日の夕方、西日が差し込む事務所に、また新たな訪問者が現れたのは言うまでもない。今度は、近所の活気あふれる魚屋のおかみさんが、普段の威勢の良さとは打って変わり、真剣な顔で僕に訴えかけてきた。「明智先生! 大変なんです! うちの看板猫のタマが、最近、店のピチピチと新鮮な売れ残りの高級マグロのトロばかり食べるんです! 一匹数千円もするトロですよ! もしかして、何かの病気でしょうか!? 先生、どうか、食欲旺盛すぎるタマを助けてやってください! このままでは、店が潰れてしまいます!」

僕は深くため息をついた。「よりによって、猫の食生活の相談とは…。私の才能は、一体どこへ向かっているのか…」僕の「迷探偵」としての災難な一日は、まだ終わりそうになかった。空には、今日も燃えるような赤い夕日が沈んでいく。「くっ、まさか猫の味覚の悩みまで探偵の仕事とは…! 明日は一体、どんな奇想天外な事件が、この冴えない古本屋の店主である私を待っているというのか…!」僕の財布は今日も空っぽだ。だが、腹を空かせた猫たちの未来のため、そして何より、近所の信頼を裏切るわけにはいかない…のかもしれない。明日こそは、まともな事件が舞い込んでくることを祈ろう…。

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