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ショートショート#2 虹色のレンズ

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第一章:色を失った世界

健一は、使い慣れた一眼レフのファインダーを覗きながら、ため息をついた。シャッターを切るたび、彼の心にはいつも、10年前に不慮の事故で逝ってしまった恋人、裕司の笑顔が浮かんだ。裕司が亡くなってから、健一の人生から鮮やかな色は失われた気がしていた。カメラだけが、彼と世界を繋ぐ唯一のツールだった。

健一の頭の中には、裕司との思い出が、まるで色褪せた写真のように残っていた。特に鮮明なのは、初めて二人で旅行に行った、小さな港町の風景だ。裕司は海が見える高台のカフェで、健一が新しいレンズで夢中で写真を撮っている間、ずっと隣で楽しそうに珈琲を飲んでいた。

健一がふと顔を上げると、裕司はくすくす笑いながら「ねぇ、健ちゃん。そんなに真剣に撮って、何を写してるの?」と尋ねた。健一は少し照れながら「君が笑ってる顔、かな」と答えると、裕司は顔を真っ赤にして俯いてしまった。その時、夕日が海に沈む寸前で、空と海がまばゆいオレンジ色に染まり、二人の間には温かい沈黙が流れた。あの景色は、健一の心の中に、宝石のように大切にしまわれている。

他にも、ささやかな日常の思い出も、健一の心を温めた。二人で暮らしたアパートの小さなキッチンで、裕司が健一のために拙い手つきでオムライスを作ってくれたこと。ケチャップで描かれたハートが少し歪で、健一が笑うと、「これでも頑張ったんだよ!」と頬を膨らませた。そんな何気ない瞬間が、健一にとってはかけがえのない宝物だった。しかし、それらの思い出は同時に、もう二度と戻らない現実を突きつけ、健一の心を深く沈ませていた。彼は過去の中に閉じこもり、未来を描くことができなかった。

第二章:不思議なレンズとの出会い

ある日、いつものように散歩がてら古い商店街を歩いていると、路地裏の片隅にひっそりと佇むアンティークショップが目についた。吸い寄せられるように中に入ると、埃っぽい店内の奥で、不思議な光を放つレンズが健一を呼んでいた。それは、乳白色のガラスの中に虹色の輝きを閉じ込めたような、美しいレンズだった。店主らしき老婦人は、白髪をきちんとまとめ、優しい目をしていた。

「それは、特別なレンズですよ。撮る人の心が、写るものに彩を与えるんです」と微笑んだ。健一は半信半疑ながらも、そのレンズに魅せられ、購入することにした。

老婦人は、健一がレンズを手にすると、ふと目を細めて言った。「そのレンズは、失われたものを取り戻すのではなく、今、ここにある美しさに気づかせてくれるものです。そして、あなたの心に虹を架けてくれるでしょう。」健一はその言葉の意味を深く考えることはなかったが、どこか心が軽くなるのを感じた。

翌日、いつもの公園で試し撮りを始めた。何気ない風景を写してみるが、ファインダー越しに見える世界はいつもと同じ、どこか色褪せた景色だ。がっかりしながら、かつて裕司とよく座ったベンチに目をやった。そのベンチには、一輪の忘れられたガーベラが咲いていた。健一はそっとレンズを向け、シャッターを切った。

現像した写真を見て、健一は息をのんだ。写真の中のガーベラは、まるで宝石のように輝き、その周りには、微かに裕司の面影のような光の粒が舞っていた。健一は何度も目を擦ったが、その光景は変わらない。写真の隅には、小さな虹が架かっていた。

第三章:彩を取り戻す心

それから、健一は毎日そのレンズを持ち歩いた。寂しいと感じる時、心が温かい記憶を求める時、彼はシャッターを切った。すると、枯れた花びらが鮮やかな色を取り戻したり、雨上がりの水たまりに満点の星が映り込んだりした。そして、どの写真にも、必ず小さな虹が架かっていた。

健一は、時々アンティークショップに立ち寄るようになった。老婦人はいつも温かいお茶を淹れてくれ、健一は撮った写真を見せた。

「この写真、見てください。枯れた花が、こんなに鮮やかになるなんて…」健一が言うと、老婦人はにこやかに頷いた。「ええ、レンズがあなたの心と繋がっている証拠です。あなたの心が、その花に再び命を吹き込んだのですよ。」

またある日、健一は裕司との思い出の場所で撮った写真を見せた。そこには、幼い頃の裕司の姿が見えるという健一に、老婦人は静かに言った。「それは、あなたが裕司さんをどれほど深く愛し、大切に思っているかの表れです。レンズは、あなたのその純粋な愛情を映し出しているのですよ。」彼女の言葉は、健一の心に深く染み渡った。裕司への愛は、決して過去のものではなく、今も自分の中で息づいているのだと、改めて感じた。

この頃から、健一の心には少しずつ変化が表れ始めた。これまで裕司の死によって失われたと思っていた心の「色」が、レンズを通して、少しずつ戻ってくるのを感じたのだ。公園で子どもたちが遊ぶ無邪気な声が、以前より心地よく響き、空の青さや街路樹の緑が、くっきりと目に映るようになった。寂しがり屋だった彼が、カフェで隣り合わせた人と、ほんの短い言葉を交わすことさえ、苦ではなくなっていった。裕司の記憶は、悲しい過去としてではなく、健一を支え、未来へと導く温かい光へと変わっていった。

第四章:虹色の写真展

ある日、老婦人が健一に提案した。「健一さん、あなたの写真、たくさんの人に見ていただきたいわ。きっと、心を癒される人がいるはずよ。」

健一は最初は戸惑った。自分の個人的な感情が詰まった写真を、人に見せるなんて。しかし、老婦人の言葉と、レンズがもたらしてくれた心の変化を思うと、一歩踏み出す勇気が湧いてきた。彼は小さなギャラリーを借り、「虹色のレンズが映す世界」と題した写真展を開催した。

会場には、色鮮やかな花々、雨上がりの街の風景、そして微かに光の粒をまとう裕司の面影が写る写真が並んだ。訪れた人々は、一枚一枚の写真に息を呑み、その輝きに魅入られた。

ある老夫婦は、健一が撮った枯れ木に咲く満開の桜の写真を見て、涙ぐんだ。「長年連れ添った夫を亡くして、もう花なんて美しいと思えなかったけれど、あなたの写真を見たら、また春が来るのが楽しみになったわ。」

また、仕事に疲れた様子の若い男性は、雨上がりの水たまりに映る虹の写真を見上げ、「忘れていた感情を思い出しました。明日からまた頑張れそうです」と健一に語りかけた。

そして、最終日。人影がまばらになった会場に、一人の女性が立っていた。彼女は、裕司が写る写真の前で、静かに涙を流していた。健一が声をかけると、女性は振り返った。「私、裕司の姉です。裕司が亡くなってから、ずっと後悔ばかりで、弟の笑顔を思い出すのが辛かった。でも、この写真を見て、裕司がこんなにも幸せそうにしていたこと、そしてあなたに愛されていたことが、私にも伝わってきました。ありがとう、健一さん。」

裕司の姉の言葉は、健一の心を深く揺さぶった。裕司の死は、彼だけの悲しみではなかった。しかし、このレンズと写真を通して、健一は裕司の存在を、悲しみではなく愛と希望の光として、多くの人々と分かち合えたのだ。

第五章:未来へ架かる虹

ある夕暮れ時、健一は夕日に染まる海辺でシャッターを切っていた。ファインダー越しに広がる茜色の空は、これまで見たことのないほど鮮やかで、その中に、幼い頃の裕司がはにかむように微笑んでいる姿が見えた。健一の目から、あふれる涙が零れ落ちた。それは、悲しみの涙ではなく、温かさと、そして何よりも感謝の涙だった。レンズは、裕司がいつも健一に送っていた「大丈夫だよ、一人じゃないよ」というメッセージを、彼が真に受け取れるようになったことを教えてくれたのだ。

健一は、もう一度シャッターを切った。今度は、レンズ越しに自分の顔が映った。その顔は、初めて心の底から笑っているように見えた。彼は、虹色のレンズが、失われた色だけでなく、止まっていた時間も動かし始めたことを知った。裕司はもういないけれど、彼の愛は、健一の心の中で、そしてこの虹色のレンズの中で、これからも輝き続けるだろう。

そして、健一は知った。虹色のレンズは、裕司との思い出を鮮やかに彩るだけでなく、彼自身の未来も、きっと美しい色で満たしてくれるのだと。彼はこのレンズが与えてくれた「今」を大切にしながら、これからの日々を、色鮮やかに生きていこうと心に決めた…

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